流の紹介・山小屋マップ

NAGARE INFO & YAMAGOYA MAP

山笠ナビ流の紹介・山小屋マップ東流

東流

1966年の町界町名整理により旧東町流を中心に、呉服町流や櫛田流の一部などを加えて新たに発足した比較的新しい流です。
水法被は背中に「東」一文字が入ったものに統一され、所属する町名は肩章に書かれています。また、長法被も縦しま模様の統一のものを着用します。
参加はほとんど旧町名単位で、他の流のように「当番町」を作らず流全体で費用を負担する「流当番制」を採用しています。
昭和57年から飾り山も復活し、呉服町交差点の南東角に山小屋が建設されています。

なお、東流は舁き山と飾り山とで山笠の土台部分である"山笠台"を共用しており、舁き山が走るときには山笠台が飾り山から引き出され、その上に舁山の飾りを取り付けて舁き出しています。
飾り山の「飾り」部分は山笠小屋に固定されており、山笠台を舁山で使用している間は宙吊りになっています。
これは、千代流の様に飾り山と舁山とで別々に山小屋を構える場所が確保できないための苦肉の策で、ビルが建ち並ぶ福岡の中心部で開催される現代の博多祇園山笠ならではの事情です。

2018年度 東流

舁き山

標題

思君慈母成鬼神

(きみをおもえばじぼもきしんとならん)

意味 大切な人の為なら優しい母も鬼神になる 山笠事で城(家庭や家業)を留守にする男衆に代わりに、それを守る「ごりょんさん」に敬意を表します。 豊後・大友宗麟の一族で豊後鶴崎城々主・吉岡統増(むねます)の母で、夫は戦死しており、出家して「妙林尼」と称していました。天正14年(1586年)、島津勢と大友勢との戦いに息子の統増は精鋭を率いて参戦します。その為、残ったのは老兵・農民・女子供だけです。 島津の分隊三千が鶴崎城を取り囲みます。降伏との意見が多い中、妙林尼が指揮を取り280丁の鉄砲と鳴子・落とし穴・馬矢来などを駆使して撃退すること16回。手を焼いた島津勢からの和睦提案を受入れたと見せかけ何度も酒宴を開きます。その後、豊臣秀吉が九州攻めを開始したため、早朝に二日酔いで島津勢は撤退を開始。退路に伏兵を置き奇襲をかけ討ち取った武将の63首を大友宗麟に届け、報告を聞いた秀吉を驚愕させた人物です。

[人形師:白水英章]

舁き山 山小屋の場所

最寄りの交通機関

福岡市営地下鉄「呉服町」より徒歩1分
西鉄バス停「呉服町」より徒歩1分

歴代の舁き山

  • 2018年
  • 2017年
  • 2016年
  • 2015年
  • 2014年
  • 2013年
  • 2012年
  • 2011年
  • 2010年
  • 2009年

飾り山

飾り山(表)

標題

桃太郎初陣

(ももたろうういじん)

人の世の生き血を吸い、不埒な悪行三昧、醜いこの世の鬼たちを退治てくれよう桃太郎 現代社会に蔓延る不埒な輩の根絶を願います。

[人形師:白水英章]

飾り山(見送り)

標題

太閤町割縁

(たいこうまちわりのえにし)

延暦16年(797年)の「続日本書紀」に「博多大津」と記され「土地博く、人・物多し」と都市形成を成していたとされます。 安土桃山時代まで自治都市として栄えましたが、戦火により荒廃。 九州征伐を終えた豊臣秀吉は1587年に博多の復興を構想。この区画整理事業は太閤町割 りと呼ばれ、町筋ごとに「流」という集合体を形成させた。現代博多の基礎をを築きました。 博多松囃子や博多祇園山笠といった大規模な祭事は今でもこの流単位で行われている。

[人形師:室井聖太郎]

歴代の飾り山

  • 2018年
  • 2017年
  • 2016年
  • 2015年
  • 2014年
  • 2013年
  • 2012年
  • 2011年
  • 2010年
  • 2009年

山小屋の場所

最寄りの交通機関

福岡市営地下鉄「呉服町」より徒歩1分
西鉄バス停「呉服町」より徒歩1分

流の地域

東流 法被一覧

長法被
(統一法被)
水法被
(統一法被)

山笠ナビ

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