" /> 2014年 中洲流 – 流の紹介・山小屋マップ

流の紹介・山小屋マップ NAGARE INFO & YAMAGOYA MAP

2014年 中洲流

舁き山

標題

猩々酒宴壽

(しょうじょうしゅえんのことぶき)

唐土(もろこし)の金山の麓の揚子の里に住む高風は、孝行息子である。ある晩、不思議な夢を見る。それは、揚子の市で酒を売ると富貴になるというものだった。夢のお告げの通り、高風が酒を売るとだんだん金持ちになっていった。市のある日に、高風のところに酒を飲みに来る不思議な者がいた。名を尋ねると「海中に棲む猩々だ」という。高風は今日も市に出てこの猩々を待つことにした。そうするといつもの通り猩々が現れ酒を飲み酔った猩々は、波を滑るようでもあり波を蹴るような美しい舞を舞う。猩々は高風の孝行心を誉めてこの酒壷に泉の水をたたえたならばそれを酒に変えてやろうと尽きる事のない酒を高風に与え波の加奈へと姿を消していった。西日本一の歓楽街である中洲流の益々の発展を願い製作しました。

[人形師:溝口堂央]

山小屋の場所(2014年度)

飾り山

飾り山(表)

標題

奮戦本能寺

(ふんせんほんのうじ)

1582年 天正10年6月 明智光秀が、主君 織田信長公を討った事件。当時信長は中国で毛利氏と対戦中の秀吉を救援する為、その先鋒武将に光秀を命じ、自らは、手勢わずかと共に京都に入り、本能寺に宿した。光秀は夜半、配下の大群をひきい、"老の坂"に至り突如采配をふるって中国への道と逆方向の東を指して進撃を命じた。全軍は暁闇(まだ暗い暁方)の本能寺になだれ込み、信長を自決させた。

原因は、光秀が丹波平定の際、信長の違約の為母を殺され、又武功によって授けられた所領を森蘭丸に護らせられる等、数々の恥辱を与えられた恨みと天下統一の野望の為と云われる。

[人形師:三宅隆]

飾り山(見送り)

標題

賤ヶ岳之戦

(しずがたけのたたかい)

賤ヶ岳の戦い(しずがだけのたたかい)天正10年6月2日、織田信長が本能寺の変で死した後、羽柴秀吉が信長旧臣中で大きな力を持つに至った。6月27日織田氏の後継者を決定する会議が清洲城で開かれ(清洲会議)信長の三男・織田信孝を推す柴田勝頼と織田信忠の子である三法師を推す羽柴秀吉の間で激しく対立した。ついに天正11年(1583年)、近江国伊香郡(現:滋賀県長浜市)の賤ヶ岳付近で行われた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と柴田勝家との合戦に及び、織田勢力を二分する激しい戦いとなり、秀吉はこの戦いに勝利することによって天下人の基盤となった。

[人形師:中村信喬]

山小屋の場所

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