" /> 2015年 櫛田神社 – 流の紹介・山小屋マップ

流の紹介・山小屋マップ NAGARE INFO & YAMAGOYA MAP

2015年 櫛田神社

飾り山(表)

標題

呑取名槍黒田誉

(めいそうのみとるくろだのほまれ)

「酒は呑め呑め呑むならば、日本一のこの槍を呑み取るほどに呑むならば、これぞ真の黒田武士」
筑前博多に伝わる「黒田節」は、文禄慶長の役で明との和議が成立し休戦していた時の逸話に由来するといわれています。この逸話に登場する母里太兵衛は、播磨の国の小寺氏に仕え、黒田官兵衛に出仕しました。文禄慶長の役では、黒田長政に従って、戦役に参加しました。また、槍術に優れ黒田二十四騎の中でも特に徴用された黒田八虎に名を連ねる剛力の勇将として知られています。伏見城に滞在中の福島正則の元へ主君黒田長政の使者として遣わされたときのことです。太兵衛は正則に酒を勧められます。太兵衛は黒田の家臣の中でも酒豪として知られていました。使者である手前それを固辞しました。しかし、自らも酒豪である正則はなみなみと酒の注がれた数杯の大盃を用意し「これを見事に飲み干せたならば、好きなものを褒美として遣わす」と太兵衛にしつこくせまりました。応じない太兵衛に正則は、「黒田の武士は酒に弱い。酔えば何の役にもたたない。」と、黒田の家名を貶める発言をします。これには、流石の太兵衛も応じ用意された大盃の酒を全て飲み干してしまいました。
呑み比べに勝った太兵衛は、正則が主君豊臣秀吉より賜った天下三名槍と称えられる「日本号」を所望します。正則は不覚をとることとなりましたが、「武士に二言はない」として、「日本号」を褒美に差し出しました。この逸話によって、「日本号」は「呑み取り日本号」として異名を持つようになり、筑前今様の節回しとともに、「黒田節」として黒田の武士の男意気を今に伝えています。
この飾り山笠は勇将母里太兵衛が、福島正則との飲み比べで天下の名槍「日本号」を呑み取った名場面です。

[人形師:亀田均]

飾り山(見送り)

標題

烟満国聖帝御世

(けぶりはくににみつひじりのみかどのみよ)

遙か昔、大雀の命(後の仁徳天皇)は応神天皇の御子としてお生まれになりました。
この大雀の命がご即位され天皇となられました時に難波(現在の大阪)に宮を造られ、高津宮とされました。
測位後のある日、天皇は高い山より四方の国を見渡されましたが、どの家もひっそりとしているのを見られ、「国中に烟発たず。国みな貧窮し。かれ今より三年に至るまで、悉に人民の課役を除せ。」と詔たまわれました。
これをもってご自身の御衣や沓なども破れるまで着られ、また宮殿の屋根・壁などが壊れ雨漏りなどがしても、わずかな生活が出来る宮殿の一角で日々を送られました。
この間にも天皇は人々の為に水路を整備され、また原野を開墾するなどの事業を行い、国を徐々に富ませられていきました。
そして三年が経ち再び天皇が高い山に登られ、四方の国を見渡されますと、どの家からも烟が満ち足りておりました。
そこで人々の暮らしも豊かになったことを見届けられ課役を命じられましたので、人々も生活に苦しむことなく命に従ったと言われております。
この飾り山笠は仁徳天皇が国を富ませる為に課役を止め、世に聖帝としてあがめられる古事記に伝えられる一場面です。

[人形師:今井洋之]

山小屋の場所

歴代の飾り山

  • 2024年
  • 2023年
  • 2022年
  • 2021年
  • 2020年
  • 2019年
  • 2018年
  • 2017年
  • 2016年
  • 2015年
  • 2014年
  • 2013年
  • 2012年
  • 2011年
  • 2010年
  • 2009年