博多祇園山笠用語辞典 YAMAKASA DICTIONARY

中止・中断(ちゅうし・ちゅうだん)

梅雨の真っ直中に行われる博多祗園山笠は、これまで天候が理由で中止になったことは一度もない(少なくとも戦後以降は)。
どんな大雨でも、台風が近付いてきていても、山笠の行事は天候に関係なく、決まった日に決まった行事が執り行われる。
(※但し、過去に台風接近のため山小屋を予定より早めに撤去した例はある)

明治31年(1898年)の中止騒動

ただ、一時的な中止はなく、開催事態中止にする動きが一度起こっている。

明治31年(1898年)、当時の曽我部福岡県知事が博多山笠の中止を提議し、博多は大騒ぎとなった。
当時舁き山は飾り山のように背が高くて電線を切る事が多かったのと、当時の衣装は締め込み一丁だったため公序良俗に反しているという点がその理由。
博多の人々は九州日報の小島一雄主筆に助力を要請。自らも県庁、市役所に押しかけ、結局は小島主筆の仲裁で存続が決まった。
一方で、存続派も譲歩として、舁くための背の低い『舁き山』と据えて見物する背の高い『飾り山』の分離を行うようになり、また、締め込み一丁の上に水法被を着用するようになった。

山笠の「中断」の歴史

博多祇園山笠は2度中断ししている。

最初は明治6年(1873年)~明治15年(1882年)までの10年間。
旧来の祭りや慣習は弊害あっても一利無し、との理由で、近代化を推し進める明治政府の指示で県が禁止令を出した事が原因。
明治8年(1875年)に一度だけ急に山笠が許可された事があるが、あまりにも急な許可のため飾り物を作る時間が無く、浴衣で作った「ゆかた山」で間に合わせたと記録が残っている。

2度目は昭和20年(1945年)~昭和22年(1947年)まで。昭和20年6月19日に米軍航空機B29による爆撃による『福岡大空襲』が行われ博多は焦土と化してしまう。この空襲と終戦に伴う混乱が原因となりやむなく中止となる。
昭和21年、22年には復興の希望を乗せて子供山笠が走るが、本格的な山笠の再開は23年からである。

そして2019年と2020年は斎行が「延期」された。
2019年末から世界中に拡大した新型コロナウイルスによる影響はとても甚大で、感染拡大予防を主眼に置いた博多祇園山笠振興会は断腸の思い出2020年度の開催を「延期」と決定。山笠行事はすべて中止、飾り山も櫛田神社の飾り山以外は奉納しないという事となり、戦後初の山笠のない夏を博多は迎えた
翌2021年も感染状況は改善せず、改善どころかオミクロン株の登場により感染が拡大。感染者が減らない状況を鑑み、今年こそはと山笠の開催に細心の注意と苦慮を払って行ってきた博多祇園山笠振興会は最終的に、舁き山行事を「再延期」する事を決定。2年連続山笠がない夏を博多は迎える事となった。ただし、2020年は取りやめた飾り山の奉納は行われ、わずかながら夏の風を感じることができたのは救いであった。